丑年の大飢饒
「義留は長雨で洗い流された都動へ上る坂道にさしかかった。
まだ日の暮れるのには、早い時刻であった。
坂の右手に、墓場へ続く細い道がある。
数人の男と女がかたまって、その道を上がってくる。
義留は、「おやっ」と思って足を止めた。
一人の男が女を背負うている。
女は両手をだらっとたらして、全く力がぬけている。
この男女のむれが義留の近くまでくる間に、その女を背負うのに二度男が代った。
男と女のかたまりは、どの顔にも生気はなく、歩くのも気がぬけて弱々しかった。
背負われた女は死んでいた。
葬式を出すどころではなく、毎日大勢の人が飢えて死んでいった」・・・。
沖縄は台風が襲ってくる宿命の島です。
宝永6(1709)年には7回も台風があって、特に10月にやってきた台風は大きな災害をもたらし、その上にひでりが続いて、田や畑は作物が何一つできなくなって、食料はすっかり無くなってしまいました。
人々は木や草も食べられるものは食いつくし、木の皮までも食べ、海の藻は言うまでもなくとりつくして飢えをしのいでしました。
しかし、それでも飢え死にしたのが3199人と誌されています。
当時の沖縄の人口が約20万人でした。
わたしたちのように、沖縄ツアーなどでたまに来るような観光客には、台風に苦しむ沖縄の人の気持ちがいまいち理解できていないかもしれません。
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